織田信長や夏目漱石などの偉人。その名は歴史書や教科書により語り継がれ、功績や栄誉を知らずとも名前だけは誰しもが知っているに違いない。だが彼らも人間。そして僕たちも同じ人間。
同じ人間というジャンルに生まれてきて、片や歴史に名を残した人間、片や歴史に名を残すことなく死んでいく人間。大多数である後者の僕たちは、全世界に知られることなく生まれてきて、全世界に知られることなく死んでいく。その葬儀は電波に乗ることも、新聞の一面を飾ることもない。葬儀は地方の小さな葬祭場で しめやかに行われ、少しばかりの雨が降って終わり。
僕たちという言葉は失礼にあたるので、これからは“僕”の一人称とする。その“僕”は 何の為に生きているのだろうか。何の為に生を授かったのだろうか。僕が生まれたからとて、地球の歴史にとって何の影響も意味もない。僕が死んでも地球は普 通に回転し、人々は昨日と同じ生活を送る。
人生が六十年とするならば、僕はもう折り返し地点を通過した。残り少なき我が人生、この生涯を何に捧げるのかと考えるなら、次世代へのバトンタッチに捧げよう。この人生は六十年間のバトンリレーだ。地球規模で行われている長い長いバトンリレーだ。
先人から受け継いだ夢や理想、この数十年で学んだ経験と知識、僕が成し得なかった事を次世代に託す。そして次世代の子供達が暮らしやすい環境を作る。
子供達は常に笑顔であるべきだ。しかしこの世界は大人達の我儘な理由で、その笑顔を曇らせている部分があるのではないだろうか。不況による経済苦、格差社会に於ける競争生活、都市開発で消える豊かな自然。子供達の笑顔が輝かずに、この地球の将来は明るいのだろうか・・。続く
同じ人間というジャンルに生まれてきて、片や歴史に名を残した人間、片や歴史に名を残すことなく死んでいく人間。大多数である後者の僕たちは、全世界に知られることなく生まれてきて、全世界に知られることなく死んでいく。その葬儀は電波に乗ることも、新聞の一面を飾ることもない。葬儀は地方の小さな葬祭場で しめやかに行われ、少しばかりの雨が降って終わり。
僕たちという言葉は失礼にあたるので、これからは“僕”の一人称とする。その“僕”は 何の為に生きているのだろうか。何の為に生を授かったのだろうか。僕が生まれたからとて、地球の歴史にとって何の影響も意味もない。僕が死んでも地球は普 通に回転し、人々は昨日と同じ生活を送る。
人生が六十年とするならば、僕はもう折り返し地点を通過した。残り少なき我が人生、この生涯を何に捧げるのかと考えるなら、次世代へのバトンタッチに捧げよう。この人生は六十年間のバトンリレーだ。地球規模で行われている長い長いバトンリレーだ。
先人から受け継いだ夢や理想、この数十年で学んだ経験と知識、僕が成し得なかった事を次世代に託す。そして次世代の子供達が暮らしやすい環境を作る。
子供達は常に笑顔であるべきだ。しかしこの世界は大人達の我儘な理由で、その笑顔を曇らせている部分があるのではないだろうか。不況による経済苦、格差社会に於ける競争生活、都市開発で消える豊かな自然。子供達の笑顔が輝かずに、この地球の将来は明るいのだろうか・・。続く