“先生! (詩)をどうして学ばなければならないでしょう? 大学進学にはどんな助けもならないが.”
“知識·論理は AIが人間追い越し” 現在学校·大学モデル崩壊するとトフラー·フレーなど未来学者たち “未来不必要な知識覚えてはいけない” 映画 ‘死んだ詩人の社会'でワルトン高校の新前教師ゾーンキーティングに、ある学生が問います. この学校は卒業生の 3分の 2街アイビーリーグに進学する入試名門高です. ところで若い教師であるキーティングは学生たちに入試とは構わない文学と芸術を強調します. そのため学生たちは “進学準備をしたり忙しいのにどうしてしきりに詩を詠ずるようにするのか”と問ったんです. 質問を受けてしばらく考え込んだキーティングが言います.
“皆さんが目標にする意思·法曹人·政治家, 言い換えれば医術と法·政治など貴い事です. しかしこれらは生に必要な手段と方法であってそのものが目的ではないです. 代わりに幸せが何なのか悩んでこれを土台で作り出した時と芸術はそのものが人生の目標です. しかしわれらは生の目的になるものなどをむしろ方法を果たすための道具だと思っています.”
以後キーティングは学校長の反対にもかかわらずウィリアムイーツ(1865~1939), ロバートヘリック(1591~1674)のように今すぐ入試に役に立たない詩人と作品を教えます. しかしキーティングは名門大進学が最大の目標であるワルトンの教育理念に当たらないという理由で学校で追い出されます.
この映画は 1990年公開しました. 作品の中背景は 1950年代アメリカで. しかし映画の中で皮肉った学校姿は今の教育現実と大きい差がなさそうだ. 教室は相変らず入試のために存在して, 授業はひたすら暗記と知識習得がメインです. キーティングの言葉のように学生たちが教育を通じて生の目的を尋ねるのではなく大学入試にだけ埋沒されて生の重要な価値たちを忘れて暮します.
産業時代に合わせられた学校体制も、もちろんこんな教育方式が必要な時もありました. 多数が好む職業を得るためには先に良い大学へ行かなければならなかったし, 入試成績を高めようとすれば時と芸術より数学と英語がもっと上手ではなければならなかったんです. 子供達の夢が何になったといっても教師はただ “勉強だけ熱心にしなさい”と言えば良かったです. 一生暮しながら一度使うかどうかの知識を十数年の間まる暗記するようにしながらですね.
しかし問題は未来にはこんな教育方式が通じないという点です. 2年前故人になったエルビン・トフラーは 2008年 9月ソウルで開かれたアジア太平洋フォーラムで入試が主の韓国教育を強く批判しました. “幾多の青少年が一日 15時間学校と学院で未来に必要ではない知識と存在しない職業を得るために時間を浪費している”と言うのでした. それから 10年が経ったが現実は変わらなかったのです.
トフラーは彼の本 『付議未来』で現代の学校体制は 19世紀産業化時代の労動者を養成するために作られたと説明します. 一本化·標準化·大量化という産業社会の価値を実現するのに学校体制が最適化されているというのです. 彼は “工場に必要な労動力を供給するのが 19世紀学校の最大の目標だった”と言います. 韓国の学校システムは相変らず 19世紀にとどまっているということがトフラーの指摘でした.
もちろん産業化時代にはこんな教育モデルが必要でした. 近代国家が形成されて産業化が早くなった 19世紀ヨーロッパ社会は先を争って国民を対象にした普通教育(義務教育)を取り入れます. これはトフラーの言葉のように産業革命が呼んで来た新しい社会構造に必要な労動力を養成しなければならなかったからです. 同時に国家という共同体の理念を伝えて彼らを一つのアイデンティティで縛ることができる制度が必要だったが, それがちょうど公教育でした.
日帝時代が終わって朝鮮戦争の惨事を経験した韓国も事情は同じでした. しかし漸進的に産業化を経験したヨーロッパと違い韓国は一世代ぶりに圧縮的にこのすべてのことを経験しなければならなかったんです. その核心成功要因の中で一つが教育でした. 教育のおかげで韓国は産業に必要な労動者を早く養成して ‘漢江の奇跡'を成したんです. そのおかげさまで各分野の先頭走者たちを追い付いて世界 10位圏の経済大国でぐんと立ちました.
しかしぴったりそこまででした. アメリカスタンフォード大の CTO(最高技術責任者) ポールつけ教授は “革新技術が市場全体を支配する今のような時代には過去のように ‘早い追い手(fast follower)' 戦略をもっては成長に限界がある”と言います. “革新的なアイディアが出るように想像力と自律性を育てる新しいパラダイムの教育が必要だ”と言うのです.
彼の言葉のように未来社会が要求する人才の力量は 20世紀と全然違います. 知識と情報を早く習得して客観式試験をよく受ける能力が産業社会では認められました. ところでこんな能力はこれから AIがずっと越等だろう. 実際に 2017年韓国雇用情報院の研究結果によれば国内 398個職業が要求する力量の中で 84.7%は人工知能(AI)が人間より良いと言います. 今のように暗記と知識習得が主の教育に養成された人才は減らす必要がないという意味です.
こんな状況で一番先に危機を経っている所は大学です. 未来学者トーマスフレーは “2030年世界大学の半分が消える”と予測します. 知識の ‘半減期'が非常に短くなって大学が社会で要する教育の需要に付いて行くことができないからです. それさえも今までは大学卒業状が良い働き口を保障すると言う信頼のため大学に進学したが, もうその信頼も割れています. 名門大を出てきても以前と待遇が同じではなくて, 学歴より実力を重視する文化に変わっているからです.
ミネルバスクールみたいな新しい形態の大学が急浮上する理由もそのためです. 2014年開校したミネルバはすべての授業をオンラインで進行します. 新生学校だがアイビーリーグより入って行きにくい学校と呼ばれます.
フレーが 2012年設立した ‘マイクロカレッジ'もその影響力をますます拡大しています. これは 3ヶ月単位の超短期集中学位過程です. 時々刻々変わって行く新しい技術トレンドを学ぼうとする情報通信(IT) 人才たちに大きい人気を呼んでいます. フレーは “10年後には一人が 8~10個の仕事をするフリーランサーの時代が来ること”と言いながら “4年の間足が縛られて勉強する今の大学モデルは消えること”と見通します.
未来に必要なことは全人教育
でしたらこれから教育は何を教えなければならないでしょうか. その解答に対しては 18世紀以前, すなわち産業化以前の教育でヒントを得ることができます. この時の教育は今と非常に違いました. 最大の違いは教育の対象が少数の支配階層に限定されたというのでした. これらは生産活動から脱していたから労動者になるための教育を受ける必要がなかったです. その代わり人文科教養, 正しいマナーと品性などを育てる全人教育が中心でした.
未来教育専門家であるアメリカのチャールズパデル(『21世紀何を教えて学ばなければならないか』) 博士によればルネサンス以後 18世紀まで主要教科目は読解·作文, 修辞学, 歴史, 哲学, 数学, 音楽, 美術, ラテン語などでした. このごろの視覚で見れば敢えて学ばなくても暮らすのに大きい差し支えがないものなどです. しかしこれらは古代ギリシアから近世まで西洋文明社 2000年の間主要教科目の位置にありました.
今すぐ暮らすための労動者を育てるのに必要な教育ではなかったが市民的教養を取り揃えた共同体構成員を養成して, 革新を起こす創意的科学者·芸術家·哲人などを排出するのに相応しい教育でした. こんな教育システムはルネサンスのように人間文明が一段階高くなることができる踏み台になりました.
多分レオナルドダヴィンチが分かった知識の総量は平均的な現代人よりもっと少ないだろう. 代わりに彼の想像力と創意性は今日天才と呼ばれる人々よりもずっとすぐれます. ダヴィンチがもし現在の韓国教育システムで学校を通ったらたぶん彼が成したことと同じ大きい業績を残すことができなかったはずです.
すなわち, 4次革命時代には今まで人間がしてきた労動の相当部分を AIが取り替えるはずだから道具的技術だけ教える教育は必要がないです. “未来は労動者がほとんどない世界に向けている, 人間は機械ができないもっと創意的な仕事に沒頭しなければならない”と言うラミーリプキンの指摘のような脈絡です. (『労動の終末』) またゾーンキーティングの話にもどってみましょう. 彼はただ職業を得るための教育, 大学に入学するための教育を否定しました. 生の目的ではない, 方式と道具にだけ教える教育を ‘死んだ詩人の社会'と表現したんです. キーティングの問題意識のように未来にはその間私たちが習得するために努力した道具的技術が必要ではないから今の学校体制は消えるでしょう.
それなら今は ‘詩人たちが死なない' 社会を作る教育が必要です. AIと対比される人間ばかりの固有した特性を捜すように手伝ってくれる学校, 個人の幸せと共同体の利益を調和させることができるように教える ‘真実師匠'がなければなりません. 少なくとも今のように公式をダラダラと教える学校, 各種知識を頭の中に積む形態の教育を長続いてはいけないです.